中央シャッターは2021年で創業51周年を迎えます。
50周年を迎える会社は10,000社に2社もいないといわれる今の社会で、歴史ある会社といえるのではないでしょうか。
今回は、1970年創業当時から現在に至るまでの中央シャッターの歴史をご紹介します。
目次
創業時は5坪のオフィスでシャッターのペンキ塗りから始まった
中央シャッターは、先代の市川文胤(ふみたね)が創業。約5坪の小さい事務所からのスタートでした。
当時はシャッターのペンキ塗りを事業としていましたが、お客様からシャッターボックスや看板、テントなど店先の補修などのご要望が多く、お客様の声に応えていくうちに、いまのサービスが確立されました。
その後、業界とお客様のニーズの変化により、修理だけでなくシャッターの新設、販売なども対応するようになり、今に至ります。
また、夜間のシャッターなどにも対応するよう努めています。
一般的な修理業者は、夕方までの営業時間内で対応するところが多い中、中央シャッターは夜間、または翌朝一番に対応できる体制を整えています。
創業当時から変わらない社訓と受け継がれる確かな技術
社訓は創業時から変わらず
「三方よし」という市川文胤が作った社訓には、「会社の利益だけ追求してはいけない、三方のバランスがとれていないと会社は成り立たない」という意味があります。
この三方とは、「お客様・会社・従業員」の三つを指し「三者のどれもないがしろにしない」という思いが含まれているのです。
社訓は当時から変わらず今も社員に受け継がれています。
社訓と同様に受け継がれてきた確かな技術
シャッターを作るといっても既成部品を組み立てるだけではなく、部品から制作し微調整を重ねて作ります。
お客様の要望に応えるために、町工場としてオーダーに応えられる技術力が中央シャッターにはあり、この技術力を守っている職人の中には創業当時から働いている方もおり、現在も活躍しています。
シニアの雇用機会創出で社会貢献を
中央シャッターにも定年制度はありますが、現社長の「65歳を超えたからといって腕が落ちるわけではない。働きたい方にはぜひ働いてほしい」という意向もあり、65歳以上の社員も在籍しています。また、職人たちの確かな技術は、若手職人へ受け継がれるよう技術継承にも力をいれています。
まとめ
「重いシャッター、すぐ電話」という言葉通り、お客様がお困りの際に直ぐさま駆けつけるという思いが込められています。
緊急時の当日修理対応も受けるよう努めていますので、もしシャッターや看板、テントの故障・修理でお困りの方は、ぜひ一度ご相談ください。